倒れても倒れても起き上がる・・・ ”生きる喜び”があるから。


 「お嬢さん」だった少女時代。「障子に覚えたばかりの字を書いたことがありました。上手に書けたので誉めてもらおうとお手伝いさんに見せると、逆に怒られてしまいましてね・・・」。よほど悔しかったのか、この出来事は今でも脳裏から離れないという。この生来の「負けん気」こそが、彼女の原点であろう。

  夫とともに営んでいた建材会社を事実上、切り盛りしていたのは彼女だった。事業は順調で、経営状態も良好。松下電工の代理店として信頼も厚かった。だ が、そうした成功の影で疲労が彼女を蝕んでいたのか、突然倒れる。原因は不明、入退院を繰り返す日々が3年間続いた。

 事業に本腰を入れることもできず、やがて家族もバラバラに。これ以上の事業継続は困難と判断し、昭和58年には会社を清算する決断を下した。優良な業績と蓄積された信頼からその清算を惜しむ声も多かったが、土地や家の売却で取引先との清算を済ませると、建材の仕事から一切手を引く。

  失ったものは大きかったが、長い闘病生活の中で確かに何かが変わっていた。自分の体は医者任せでなく、自ら守らなくてはならないという自戒。健康には水が大きな影響を及ぼしているという発見。そして何よりも「生きたい」という強烈な願望。体調が回復すれば健康にかかわる仕事をしよう―。そこにはもはや使命感に似た気持ちの高ぶりがあったという。

  退院後には健康機器の販売代理業務に着目した。出資金が必要なかったのが魅力だった。しかし、1ヵ月で1千万円の業績を上げなくては、正規代理店としては認めてもらえない。30万円の機器だから33人分に売る必要がある。すぐにリストを作ると、片っ端から営業に飛び回った。「買ってくださいではなかっ た。お願いだから助けてと(笑)」。がむしゃらな営業活動の結果、見事1千万円を売り上げ、販売代理店・エレガントジャパンを設立する。
 「生きていくには お金がいる。2人の子供を食べさせるために、とにかく必死でした・・・」。

  ところが製造元が倒産、商品の供給が断たれる事態に直面する。ならばと従来からのテーマであった「優れた水」を使った化粧品の開発に自ら乗り出す。この噂を聞いて駆け付けた東京の化粧品製造会社と手を組み、事業は軌道に乗ったかにみえた。だが紹介を受けて提携した人物によって会社は食い物にされ、再び家や土地を手放す羽目に。

  「いい加減に手を引いたら?」という兄弟の反対を押し切り、建材会社時代から応援してくれた銀行や友人の協力を得て、現在も博多区のマンションの一室で化粧品や健康茶「日本山人蔘」などの研究開発、販売を続ける。

  なぜそこまでして・・・という我々の疑問に彼女はこう答える。
「みんなに健康を見つめ直してほしいから。そのために私達の商品を1人でも多くの人に知ってもらわなければ」。だからこそ、幾多の試練にも挫折するわけにはいかなかった。そのパワーの源は3年間の闘病生活で得た「生きる喜び」にほかならない。

株式会社エレガントジャパン 代表取締役 野元 多津子
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